インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

あれからぼくたちは

わりと長く、旅行してきた。ああ楽しかった。夏が始まった。



ブリュッセルに降り立ってプラハから発つことだけを決めてヨーロッパに飛んだ。ブリュッセルブリュージュ(ベルギー)とケルンとハイデルベルクとヒルシュホルンとローテンブルクとヴュルツブルクミュンヘン(ドイツ)とプラハチェコ)に行った。こう見ると結構いろいろ行ったな。結構いいコースだった気がする。詳しい旅程はまた改めて。明日どこへいこうか、何をしようか、どう過ごそうか、本当に全部何も決まっていなかったので、その日暮らしって感じだった。宙ぶらりんな状態が毎日続くの結構楽しかった。

付き合ってくれた彼女とは、2010年の夏をサンフランシスコで過ごしたのだった。遠くまで来たねえ、もう大人だねえ、としみじみと感じ入った。お互いずいぶん金遣いが荒くなったと笑った。お金があって理由なくポジティブな大人の毎日はめちゃくちゃに楽しい。意味なく宝石みたいなチョコレートを買ったりアンティークのレースにうっとりしたり勢いでお城に泊まることを決めたり朝から白ソーセージとビールを食したり同じようで違うたくさんの教会の荘厳さに何度も新鮮に感動したりしてコップに水を満たしていく。

プラハで泊まったいいホテルでは、部屋にBluetoothのスピーカーがあったのでありがたく活用した。Sexy Zoneの「Love Confusion」を白くキラキラ輝くシーツの海に寝そべって聞くの気持ちよかった。「いい曲じゃん」とほめてもらえてうれしかった(本当にいい曲!大好き)。ランダムに流れてくるいろいろを聞き流していたら、あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ、と耳に入ってきてぐっときた。あの頃の未来だなあ、いま、この瞬間、紛うことなく。

すべてが思うほどうまくはいかないみたいだけど、でもぶっちゃけだいたい結構それなりにうまくいってる。と思う。大丈夫。人生どうにかなる気がやっと、やっとしてきた。大人は楽しいって、どうしてもっと早くみんな教えてくれなかったのだろう? 高校生や大学生の頃は辛かった。将来に夢や希望なんてなくたって全然生きていけるってあの頃のわたしに伝えてあげたい。

まだ夏休みは続く。何もすることがない日の暇さに押しつぶれて死にそう、という贅沢な悩み。せっかく真っ白な日々なのだからエンタメに生きて死ななければ。

浸水は午前3時

自分でもさすがにどうかしていると思うくらい、ドラスティックに生活を変えている。大きな意味でも小さな意味でも変えている。この2週間くらいで人格が入れ替わったんじゃないかってくらいギアを入れて、どこまで意識的なのか自分でももうよく分からない。アクセルを踏んだのもギアを回したのも自分なんだけど、そのあと手を離してしまったのであとは自動運転におまかせ。わたしは後部座席で眠る。問題、起きたらどこにたどりついているでしょう?

学生の頃と違って数年ごとの卒業も入学もないのでこのままさくさくと落ち葉を踏むように毎日を過ごしていってしまう気がして怖い、というのはまぁ常々思っていることなんだけど、何かが耐えられなくなってせき止めていたダムの水門を開けた。すごい音がした。飛沫が光ってまぶしくて目をつむった。世界は水に沈んだ。

幸せで死にそうな瞬間と、苛立ちや憎悪で燃え尽きそうな瞬間が交互に来て感情が忙しい。いや、そういう人生を選んでいるので当然なのですが。感情ジャンキー。常に揺れ動いてないと、ホルモンが出まくっていないと気が済まないのだろうか。それはそれで、本当に、どうなのか。正気を保つためには四六時中気を狂わせていなくてはいけない、それも極めて理性的に。そういう努力。

知らない街で暮らしはじめて、人間の肉体は細胞の集まりなのだなあとぼんやり思っている。食べたり飲んだりしたものが全部生命力になるように、吸った空気も外灯の光も何気ない会話も帰り道のコンビニの気の抜けたチャイムの音も何かになっていく気がする。細胞がぐるりとまっさらになるまで、新しい物体になるまで、あとどれだけかしら。

夢ならば覚めないで

ひとつやりたいことを終えて、なんだかいろんなことが満たされてしまった。このために今までのいろんなことがあったんだと思った。多分4年前のわたしには無理だったので、すべてにちゃんと意味があったんだと思った。よいことをしたらそれをちゃんと人は評価してくれるので世界はやさしい。

本当は25日と26日と27日に何か書きたかったのだけどもう過ぎてしまった。意思薄弱。そう、27歳になったのであった。

26という数字がいろいろな意味で特別に好きなので26歳の1年間は印象深かった。だからどうってわけではないんだけど、26が冠に付くのがうれしいという意味。楽しかったな。いいことがたくさんあった。だいたい人生今がいちばん楽しいな。

悪友たちと誕生日のお祝いをしてげらげら笑った。ジェラート・ピケのポーチと、イヴ・サンローランのリップと、memnonのラブレター型のレターケースをもらうのは夢見がちなダメなアラサーって感じで最高だった。大丈夫、目を覚まさなければいいのだ。徹底的に夢に生きていけばよいのです。そうでしょ?

大人になったらいつのまにかきれいにマニキュアが塗れるようになって、いつのまにかうっとりする形のパンプスを美しく履けるようになって、いつのまにか自分に似合う香水を選べるようになるんだろうと思っていたけどそんなことはなかった。子どもの頃はもっとかっこよく大人になる予定だったのにね。でもきっと、わたしが大好きだったお姉さんたちもこんな風に生きていたのだろう、こんなはずじゃなかったって。少なからず。

これでわたしの人生は一度終わった、と思った16歳の夏の日の夕方のことを今もすごく覚えている。高校生特有の内省的で厭世的な思考回路の終着だったのだけど。友達と川沿いの土手に座ってべらべらべらどうでもいいことを話して、歩いて駅まで向かう途中に降ってきたのだった。でも何があってそこに至ったのかはよく覚えてない。とにかく、当時のわたしには世界がひっくり返ったような何かがあったのだ。目の前に次回予告のテロップが入るようにビリビリと分かって、この瞬間のことをいつか思い出すだろうなあ、と胸にしまって、現にこうやっていまも取り出して眺める。

26歳も自分の中ではいろいろカタがついたので、27歳でもう1回チャプターを打ちたい。配られたカードを切って戦っていくしかないですね。がんばるぞ〜〜

私の誠実

最近「誠実」という言葉についてよく考える。不真面目で怠惰で横着で無責任だけど、誠実だけは別だよ。誠実でいたいよ。世界に。

誠実、っていうのはあくまでこちらからの感覚でしかないんだなということを何度も思う。何をやってもどこに留意しても自分なりの誠実でしかなくて、相手に伝わっているかはよくわからない。でも手を抜いたらそれはじりじりとどこかから漏れてしまう。難しいことですね。



というかそもそも、わたしにとっての誠実は、きっと誰かにとっては取るに足らないものなのだ。だから何?というレベルの話で、それを踏みにじられるのは時折ものすごく悔しいけど、でもそれくらいでいいのだ、多分。いろいろな誠実さがある。誰かが否定するものでもないし、答えがあるものでも優劣があるものでもない。目の前の何かに対してどうやって誠実でいたらいいのか、わたしはわたしなりに考えるしかない。絶対に譲れない何かは、これだけは首を縦に振りたくないということは、社会に対する誠意なんだなって気がする。そこまでいくと信念に近い。でもそういうまっすぐで硬い言葉じゃなくて、もっとぐにゃぐにゃと生ぬるく都合よく形がない言い回しを使いたいのです。

ささいなことで笑ったり泣いたり、傷ついたり傷つけたりする人間の営みを、できるだけ誠実に書こう。それがただの絵空事に思われるなら、私の書くものは震災とは関係なくいずれ淘汰されるだろう。しかたないことだと思う。私は私の誠実を書いていくしかない。


宮下奈都さんのエッセイ「はじめからその話をしたらよかった」を読んでいたらまさにドンピシャな一節が出てきて、電車の中で涙ぐんだ。一編通して読むと別に自分の考えていたことと近いわけではないんだけど、宮下さんの言葉の選び方はたった1行でドラマチックで、そのドラマをこちらにゆだねてくるからすごい。平凡な日常とぐるぐる回るだけの思考がこんなにもストンと美しく、ステンドグラス越しの陽の光みたいに像を結ぶ。

私は私の誠実を書いていくしかない、のだ。がんばろう。

存在しないはずの記憶と思い出をすくって指の間からするすると落とす

映画「同級生」を見た。


www.dou-kyu-sei.com

なんだかいろんなものの流れ込み方がすごくて窒息しそうになった。記憶の中の彼等2人がこんなにもこんなにも完璧に美しく映像になっていることにちょっとくらくらした。読んだ当時と今の自分がずいぶん変わっていることも含めてエモい。10年。

特別BLを愛好して追いかけているわけでなくても(読むけど)(このニュアンス人に伝えるの難しい)この作品最初に読んだ時に「……すごい」ってなったの強く覚えてる。何度読んでも感情揺さぶられるし、ラブストーリーとして本当に超好きで完成度の高さを感じる。別にボーイズのラブであることが前提じゃなくて。

さまざまなときめきの要素が詰まりすぎていて死んじゃいそうだった。今好きなもの、これまで好きだったものとつながった。そうだよ、わたしハイカーストの人が好きなんだよ……。


草壁光を草壁光たらしめている、神谷浩史さんというひとはすごい人だな……と生唾を飲んだ。キャラクタがぐわんと立体的になってドキドキする。いや草壁、好きだけど、好きだったけど、こんなに好きなのかと思わされるとは。コミュニケーションの距離感が、間の取り方が好き。原作のあの感じを映像表現でこうしてくるんだぁって思った。ときめくよ。。


「高校生」という概念から発せられる、本当は存在しないはずの記憶と思い出に押し潰される。もしかしたらあったかもしれない。なかったかもしれない。高校生のころの明日世界が滅亡するかもしれないって退廃感、先が見えないし見たくもないブラックホール感、取り巻く環境が狭すぎてほんの少しの言葉や行動でひどく振り回されてしまう感、思い出すとぜんぶ苦しいし絶対に戻りたくない繰り返したくないけど、こうやってフィクションで見ると。ああそういうことだったのかも、って。

お前知ってる?なんか佐条と噂になってんよー、あいつらそういう感じなの?って、そうなん噂なってる?そっかーマジかー、わはは、ところでさー、って会話のリアリティが凄かった。否定も肯定もしない。あるいはできない。別に同性でそういう関係なことを隠したいわけじゃなくて、どう答えても何かが嘘になってしまうんだよな。言葉にしたら死ぬものと立ち上るものがあるのだ。


私たちはxxしている

  • 最近、何かに間に合わない夢をよく見る。今日は飛行機に乗り遅れそうになった。
  • 半泣きになりながらチェックインするんだけど手が震えてタッチパッドをうまく押せない。名前が入れられない。すごい怖かった。必死でがんばって手荷物検査が終わって、急ぎます、と走り出すところで終わる。
  • 電車を逃したり船に間に合わなかったり誰かの旅立ちの見送りに行けなかったり(誰だったんだろう)、起きてぐったりする。とにかく眠りが浅くて3時間くらいで目が覚める。
  • ますますどんどん好き嫌いが激しくなっていて、嫌いなもの憎いもの許せないものいつか滅ぼしたいものが増えている。ので、意識的に好きなものを増やしてなんとかバランスをとらないと死ぬ。という危機感がある。
  • 「だいたい世界の7割くらいは嫌いな気がする」「うるさいやつだなぁ」
  • 人は見たいように見るので残りの3割で生きていけるように努力しましょうね。
  • 「私たちはxxしている」って言い回しが自分の中で流行っていて何度も口の中で反芻してしまう。
  • 私たちは満足している、私たちは敗北している、私たちは激昂している、私たちは爆発している、私たちは錯乱している、私たちは戦争している、私たちは執着している、私たちは空想している。

 

 

うつつであいましょう

しかしまぁ、自分でも呆れるほど、ずっとイライラしている。

なんでこんなに毎日苛ついているのか、歯を磨きながら自転車で川沿いを走りながら駅から会社までの道を歩きながらPCが起動するのを見守りながらお昼ごはんを買うべくSUBWAYの列に並びながら地下鉄のホームで電車を待ちながらiTunesのアップデートを辛抱しながら、気が付くと、口の中で唱えている。「ムカつく」。

自意識を少しでもコントロールするためにめちゃくちゃ簡単なルールを、ゼロかイチしかない破りようのないアクションをいくつか定めていて、その1つがここに何か書きつけても沈黙を貫くということなんだけど、つまりこういう何の脈絡も理由もないことを絡まった毛糸玉のまま引き出しにしまい込むみたいなことに使いたいからだ。いや、そんなん勝手に書いて勝手に自分だけでもやもやしときーや、という気持ちもどこかであるんだけど、でも世界の片隅に転がしておくと思うとそれなりの体裁にしたためる気になるんだよな。不思議なことに。

最近は本当に反省することばかりで、いろんなことにうつつを抜かして気もそぞろだし、対人関係もあんなことしなきゃよかったな~ってことばっかりでぐだぐだぐだぐだしているし、何より仕事が自分で自分に期待しているレベルに到達してなくて気が滅入る。でも……まぁがんばろう。元気だし。


こりゃまた何の脈絡もないのですが、うつつ、を「現」って書くのすごいいいよね。
ゆめかうつつかまぼろしか。夢か現か幻か。