インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

忘れられる権利

Facebookの写真のタグ付けをすべて拒否してから随分生きやすくなった。
プロフィール欄に写真が1枚も出ないようにした。数年間にわたる数百枚の写真をどんどん遡って、自分の名前との紐付けを解いていく作業には不思議な恍惚感があった。写真を消したいわけじゃないの、いろんなものが結びつくのが嫌なの。クリック一発で、したためた文章も吐き出してきた感情も顕在化された友達も、すべて消失できるインターネットがすき。
忘れられる権利、なんて文学的な響きなのでしょう。思い出は黒いのも白いのも、笑い飛ばせるのが一番健全ね。記憶の中だけで満足。オブラートに包んで、エレガンスにごくり。ごちそうさま。