インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

余命いちまんごせんにちの友達

彼は大学の友人で、出会ったのは18なんだけど、明るくて陽気で頭がよくて押し付けがましくなくて、一緒にいていつだって楽しい人だった。大2病……っていうのかな、大学生やってると躁鬱みたいになる時期だってあるじゃない、そんな風に面倒にこじらせていた時期もわたしが知ってる限りはないし、友達も多くて誰にでも好かれるし、ご家族とも仲がいいし、恋人だってそれなりにいたりいなかったりだし、まぁありきたりな言い方をすれば「何不自由ない」って感じよ。自慢の友達。

当時仲良かった子たちがみんなハタチを超えた夜に、あーもう名実ともにオトナだね、子どもの頃は二十歳はもっとまともだと思ってた、ていうかゆとり学生なんて全然オトナじゃないし逆になめんなって怒られるっしょ、そんなことよりお前マジ留年すんなよがんばれ、なんてどうしようもない会話をしながら飲んでいたわけです。ひどく酔っ払って店を出て、灰色のシャッターに囲まれた物音ひとつしない世界の果てみたいな商店街のアーケードをだらだらと駅まで歩きながら言われたのね。

「俺、死ぬ日決めてるんだ」って。

日にちは忘れちゃったな、あ、「7」が3回並ぶ日だったから、7月7日だな。どう答えていいものか咄嗟にわからなくて、誕生日とか生まれてきて何日目とかそういう感じじゃないんだ、ととりあえず突っ込んでみたんだけど、死ぬ人間にとって意味があってもねえ、ラッキーセブンってよくわからないけど縁起よさそうしハッピーじゃん? なんてアルコールが残るふわふわした声で言われたわけ。冗談か本気かわからないけど、相手が笑うからこっちも笑っといた。じゃあそれまで楽しく生きようね、って逆向きの電車に乗った。

自殺願望とかとはちょっと違くて、きっと。人生をコントロールしたい欲望っていうか。普通に病気で亡くなっても全然変じゃない年齢を設定してたもん、子どもができておじいさんになって孫がいるような。西暦何年、って言われても案外その時自分たちがいくつか、パッと計算できないものだね。 3年先ですら未知なんだから数十年先なんて未来すぎる。うーん、未来っていうと明るく聞こえるけど、今と地続きだと思うと途端に色褪せて不思議。

なんでわざわざそんなこと決めるの、決めなくたっていつか死ぬでしょ、って、誰もが思う疑問をわたしもぶつけたんだけど、「終わりが決まってないのが気持ち悪くてたまらない、逆に何もできなくなる」って真顔で言われた。余命6ヶ月のなんちゃら、とかそんな短いスパンじゃなくても、カウントダウンできるだけでじりじりするって。あとにまんにち、あといちまんきゅうせんにち。それだけでいいって。毎日減っていくのがいいって。

――さぁ、わかんないけど。本気だと思うよ。本気だと思ってる。どうやってピリオド打つのかは知らないけど。例えば会う度にこっそり聞いてみるんだよ、「あと何日?」って。その度に小声で答えるんだもん。ちゃんとカウントしてるんだよなあ。少なくとも、そうやって口に出し続けてる重たさと言霊みたいなものはあるでしょう。でも、別にそれがゼロになった時、死ななかったとしても驚きはしないや。その先を生きることに決めたんだなってだけだよね。まずさー、そもそもお互いにその時まで生きてるかわからないけどね。もっとあっけなく死ぬかもしれない、その前に。カウントダウンなんてさらっと無視して。

こういうの、異常だと思う? おもしろくもない冗談だし、果たせもしない戯言だし、広義かつゆるやかにスパンの長いかまってちゃん行為だって思う? わたしもそういう気持ち拭えないままね、わからなくないなーってこの話を何度も思い出すんだよね。デッドラインが決まっていたら、こうやって1日ずつ丸めてゴミ箱に投げるように生きている今はちょっと違うのかなって。毎朝鏡を見て化粧をしながら、ここに電光掲示板のように残りの日にちが表示されたらどんな気持ちになるかなって。