インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

四捨五入したらゼロ

書類を書く機会があって年齢のところに25と書いた。コンマ2秒くらい遅れて25と書いた。
そうだった、25歳の世界が開幕したのだ。気を緩めると忘れる。


いろいろあってずいぶん前からネットで誕生日を祝われたい欲が失せていた。むしろ億劫だった。平積みされた雑誌みたいな「おめでとう」に、ショートケーキのいちごみたいにありがとうございますしていくの、今の心持ちだと結構しんどいと思った。

相手のそれは好意だから。好意だってわかるから。わかってるから、やりながらどんどん温度差が際立ってしまうのがつらい。だから祝われるのが嫌なのではなくて……うーん、言い方が難しい。歪んだ自意識を痛感している。なので今年はあまり祝われない方法を探そうと思った(こう書くと高飛車に見えるが、単に自分の心労の話だ)(たいして仲がよくない人にお祝いの言葉を向けられても、わざわざ興味のない相手に時間をとらせて申し訳ないです……と意味の分からない卑屈さが生じるので精神衛生に悪い)。

しかし考える間もなかった。Facebookで非表示にするだけでわたしの誕生日はこの世から抹殺されて気持ちがよかった。簡単だ、すばらしい。中学生や高校生の頃は手帳に書いたりケータイのカレンダーに登録したりして覚えていたなぁと思い出す。今はSNSに集約されてるからそこだけ絶ってしまえばあとは簡単なんだね。よいことだ。そういうのを、わたしはよいことだと思う。クリック1つで存在を消しされるのも、誰かの生き死にすらわからなくなるのも。デジタルデータはもろくて儚くて全然確かじゃない。


次の朝、「ついに四捨五入したら30だ」とほうれん草のおひたしを引き上げながらつぶやいたら「そんなこと言ったら十の位で四捨五入したらゼロだろ」とコーヒーに牛乳を注ぎながら間髪入れずに返された。この父にして、と思った。この人に今まで育てられたのだ。

ゼロ歳のわたしが今年も幸せに生きられるよう、自給自足で鼓舞していこう。また1年が始まる。