インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

Over the Mint Chocolate

「あれ、純ちゃんまだいたの」

両耳に沈むイヤフォンの隙間から明るい声が届く。窓際の席からドアの方に目を向けると逆光の中にその人は立っていた。純ちゃん、なんて呼び方をするのは最初からこの人しかいないけど。

「ナオ、部活は」
「今日はもう終わり、中等部が明日朝から練習試合らしいから追い出された」
「そうなんだ」
「教科書忘れたから戻ってきたけど、まさか純ちゃんがいるなんて思わなかった、ラッキー」
へらへら笑いながらふらふらした足取りで自分の机を目指す。え~と、古文の便覧、どこだっけ。

ひとりごとというには機嫌がよすぎる声でぶつぶつと言うナオを横目で見て、もう一度ノートに目を落として計算式の続きを紡ぐ。もうすぐ日が落ちる。開いたばかりのページの空白をもっと埋めたい、黒く染めたい、オレンジの光が消える前に。



ナオとは子供の頃に家が近所でずっと一緒にいた。好きとか嫌いとかそういうことを考える前から当たり前のようにそこにいた。仲良しね、とよく言われてたけど、そういうわけじゃないんだよな、と子ども心に思ってた。

同じ歳の子たちと比べてひときわ小さくて色も白くていつもおどおどしていた自分と違って、日焼けした肌でピカピカの笑顔で大人を怖がらずにハキハキと受け答えするナオにどれだけ助けられただろう。甘えていた分、何か返せていたのだろうか。

我が家には1つ下の妹がいて、彼女は年上の友人のことを「ナオちゃん」と呼んだ。男兄弟ばかりのナオはそれが恥ずかしかったらしく、「ちゃん付けなんて嫌だ」と何度も叫んでいたけど、「ナオちゃんだって平気で純ちゃんて呼ぶじゃない」という反撃でいつも黙らされていた。妹はよくできている。3人でいるといつも自分が真ん中で、守られていた。

同じものを見て聞いて知って、多分違うことを考えた。大きくなるにつれて自分とこの人は違うってことが明確にわかっていった。学校では少しも話さなくなっても、家に帰ってくると部屋の主より早く上がり込んでいることがそれなりの頻度であった。同じ漫画にハマって次号の展開を本気で議論したり、オセロに熱中しすぎてなぜかけんかになったりした。異性にも同性にも大人にも子どもにもびっくりするくらいすぐに好かれるこの人がどうして仲良くしていてくれたのか、今でもよくわからない。

中学に上がる直前に急に転校することになってしまって、ほんの2週間くらいで慌ただしく引っ越した。卒業式も出られなかったしそもそもちゃんと別れを告げることすらできなかったけど、正直思ったよりショックはなかった。多分、いつか道を違えるとわかってたからだ。自分が隣にいないナオは普通に想像できたし、楽しく生きている確信があった。さみしくなかったわけではないけど、新しい生活は新しい生活で楽しかったし、思い出すことはほとんどなくなっていた。物語としてはきっとこちらが“片想い”し続けていたらおもしろかったのだろうけど、世の中そんなにきれいではない。


なのでまぁ、そんな忘れかけていた相手とまさか高校で再会すると思わなかった。

あの頃住んでいた場所からはわりと遠い私立高校だ。ナオはバスケを続けていて、もちろんそのせいだけではないんだけど、記憶の中よりずっと背が高くなっていた。記憶の中よりも長い、記憶の中と同じ癖のある明るい髪が、記憶の中と同じ輪郭に沿って耳をやわらかく隠す。入学式の朝、廊下ですれ違って目があった瞬間、お互いまったく同時に気付いた。気付いてることがわかった。ナオは開口一番、純ちゃん、おっきくなってる!と背を屈めて笑った。こっちのセリフ、と見上げて笑った。

ナオの格好よくて美しいところは大人に対して反抗的でも媚びるわけでもないところだ。あの頃はどうあがいても小学生だったし、今だってどうあがいても高校生だし、そういう立ち位置の取り方がきれいだなと思う。あきらめとかではない。どんなに背伸びしても1年に1つずつしか年をとらないことへの冷酷な自覚、若さはどこかで武器になることへのしたたかさ。この人を見ていると安心する。もう部屋のドアを開けたらそこにいるような距離感ではないけど、格好いいところは同じままだってことがわかる。


気付いたら目の前にその人が座っていた。左の耳からイヤフォンを抜かれる。

「おーい、聞いてってば」
「……勉強してんの」
「うそだ、してなかった」

その通りなので虚空をさまよっていたペンを置く。ノートの右下がいつのまにかくしゃくしゃと潰れている。横向きに座るナオは上履きを床に落としてジャージの下の素足を地上20センチで揺らす。

「純ちゃん、なんでこんな時間までいるのって聞いたんだけど」
「ごめん、聞いてなかった」
「知ってるよ!だからもう1回言ってんの」
「塾だから、18時から」
「へえ~えらいね、もう塾なんか行ってるの」
「他にすることないからさぁ」
「部活入らないの?」
「別に、やりたいことない」
「ああそう」

秋の終わりは急に日が短くなってびっくりする。普段部活が終わる時間はもっと遅いのか、汗ばんだ体で暗い夜を走っているのだろうか。2人で何度も歩いた道を。

「……今日も18時から?」
「そうだけど」
「じゃあ、その前に時間あるね」
「いやそんなにないよね」
「アイス食べにいこう」
「えっ、アイス?」
「好きじゃん、アイス」
「好きだけど、そういう問題?」
「そういう問題」
「でも寒くない?もう11月だよ?」
「今トリプルが、安いんだよ、あの店、キャンペーン中に食べたかったんだけど、部活の帰りにみんなで行く感じでもないから、だから」
「……急がないでゆっくりしゃべっていいから」

何年ぶりだ、この会話。視線が絡む直前に、目を見開いて息を止めて吐き出す。目線が下にいく。こちらを見てまた口を開く。

「純ちゃん、勉強する時はメガネかけてるんだ」

「……待って、全然違う話になったけど?」
「ごめん、言いたいこと忘れた」
「それにしても唐突すぎる」
「自分でもびっくりした」
「なんかアイス、食べたい気がしてきた、今」
「ほんと?よし、行こうって」
「トリプルにできるなんて、大人になったなあ」
パピコ半分こしてたころから比べるとずいぶんな進化だ」
パピコだけじゃなかったけどね」
「そうだよ、スーパーカップまで」
「覚えてる?ナオにチョコミント好きなんて信じられない!って怒られた」
「それはそうだ、変わってない」
「今から行くお店、チョコミントあったっけ?」
「……はぁ!? なんで!」
「ナオに分けてあげるなんて言ってない」
「純ちゃん……昔はあんなにかわいかったのに」
「じゃあ行くのやめる」
「うそうそ、行く行く」
「大人になったから食べられるかもよ、今は、チョコミント
「食べられるようになってたら見直す?」
「どうだろう」
「どうよ」
「本気出して考えると」
「うん」
「本気でどっちでもいい」


 
習作。着想部分は明確に現実から引っ張ってきてるし、最初は反対側からアプローチ始めたはずなのに最終的には逆側からの方が距離が近い文章に着地して不思議。いくつか使いたいパーツがあったのでそれを縛りにしたけど、この切り口で何をどう組み立てたら誤読させたら精度を高められただろう。もっとどちらにもとれる書き方はあると思うし、レトリカルに何かうまいことできた気もするけど、具体的に何かっていうのが今ない。そのうち思いつくかも。完成度的にはあげなくてもよかったんだけどタイトルの語感が気に入ってしまった…。