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インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

私の誠実

最近「誠実」という言葉についてよく考える。不真面目で怠惰で横着で無責任だけど、誠実だけは別だよ。誠実でいたいよ。世界に。

誠実、っていうのはあくまでこちらからの感覚でしかないんだなということを何度も思う。何をやってもどこに留意しても自分なりの誠実でしかなくて、相手に伝わっているかはよくわからない。でも手を抜いたらそれはじりじりとどこかから漏れてしまう。難しいことですね。



というかそもそも、わたしにとっての誠実は、きっと誰かにとっては取るに足らないものなのだ。だから何?というレベルの話で、それを踏みにじられるのは時折ものすごく悔しいけど、でもそれくらいでいいのだ、多分。いろいろな誠実さがある。誰かが否定するものでもないし、答えがあるものでも優劣があるものでもない。目の前の何かに対してどうやって誠実でいたらいいのか、わたしはわたしなりに考えるしかない。絶対に譲れない何かは、これだけは首を縦に振りたくないということは、社会に対する誠意なんだなって気がする。そこまでいくと信念に近い。でもそういうまっすぐで硬い言葉じゃなくて、もっとぐにゃぐにゃと生ぬるく都合よく形がない言い回しを使いたいのです。

ささいなことで笑ったり泣いたり、傷ついたり傷つけたりする人間の営みを、できるだけ誠実に書こう。それがただの絵空事に思われるなら、私の書くものは震災とは関係なくいずれ淘汰されるだろう。しかたないことだと思う。私は私の誠実を書いていくしかない。


宮下奈都さんのエッセイ「はじめからその話をしたらよかった」を読んでいたらまさにドンピシャな一節が出てきて、電車の中で涙ぐんだ。一編通して読むと別に自分の考えていたことと近いわけではないんだけど、宮下さんの言葉の選び方はたった1行でドラマチックで、そのドラマをこちらにゆだねてくるからすごい。平凡な日常とぐるぐる回るだけの思考がこんなにもストンと美しく、ステンドグラス越しの陽の光みたいに像を結ぶ。

私は私の誠実を書いていくしかない、のだ。がんばろう。