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インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

夢ならば覚めないで

ひとつやりたいことを終えて、なんだかいろんなことが満たされてしまった。このために今までのいろんなことがあったんだと思った。多分4年前のわたしには無理だったので、すべてにちゃんと意味があったんだと思った。よいことをしたらそれをちゃんと人は評価してくれるので世界はやさしい。

本当は25日と26日と27日に何か書きたかったのだけどもう過ぎてしまった。意思薄弱。そう、27歳になったのであった。

26という数字がいろいろな意味で特別に好きなので26歳の1年間は印象深かった。だからどうってわけではないんだけど、26が冠に付くのがうれしいという意味。楽しかったな。いいことがたくさんあった。だいたい人生今がいちばん楽しいな。

悪友たちと誕生日のお祝いをしてげらげら笑った。ジェラート・ピケのポーチと、イヴ・サンローランのリップと、memnonのラブレター型のレターケースをもらうのは夢見がちなダメなアラサーって感じで最高だった。大丈夫、目を覚まさなければいいのだ。徹底的に夢に生きていけばよいのです。そうでしょ?

大人になったらいつのまにかきれいにマニキュアが塗れるようになって、いつのまにかうっとりする形のパンプスを美しく履けるようになって、いつのまにか自分に似合う香水を選べるようになるんだろうと思っていたけどそんなことはなかった。子どもの頃はもっとかっこよく大人になる予定だったのにね。でもきっと、わたしが大好きだったお姉さんたちもこんな風に生きていたのだろう、こんなはずじゃなかったって。少なからず。

これでわたしの人生は一度終わった、と思った16歳の夏の日の夕方のことを今もすごく覚えている。高校生特有の内省的で厭世的な思考回路の終着だったのだけど。友達と川沿いの土手に座ってべらべらべらどうでもいいことを話して、歩いて駅まで向かう途中に降ってきたのだった。でも何があってそこに至ったのかはよく覚えてない。とにかく、当時のわたしには世界がひっくり返ったような何かがあったのだ。目の前に次回予告のテロップが入るようにビリビリと分かって、この瞬間のことをいつか思い出すだろうなあ、と胸にしまって、現にこうやっていまも取り出して眺める。

26歳も自分の中ではいろいろカタがついたので、27歳でもう1回チャプターを打ちたい。配られたカードを切って戦っていくしかないですね。がんばるぞ〜〜