インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

人生最高の夏

人生最高の夏が終わって秋が始まってずいぶん経ってしまった。本当はもっと早く、というか頻度高く書こうと思っていたのに。

秋の入口のある日、待ち合わせの時間より少し前に着いてしまったので青山ブックセンターでふわふわと時間を潰していた。仲のいい人と表参道で待ち合わせするのか結構好きだ。定番のランドマークがあんまりないから、その日の気分で落ち合う場所が変わる。海外文学の平棚に積まれた本を1つずつ眺めていて、クレスト・ブックスの何かを読みたくなった。幾人の人の手で練り上げられた文章に触れたい。

ジュンパ・ラヒリは「停電の夜に」で出会ったときから特別な作家だった。もちろん訳がきれいなのもあるけど、彼女が迷い込んでいる螺旋を、見たい景色を、私はなんだかとても近しくあたたかく感じる。

ローマを選ぶ。子どもの頃からわたしを魅了し、すぐに虜にしてしまった町だ。2003年に初めて訪れたときに心を奪われ、相性がいいと感じた。前から知っている街のような気がした。2,3日過ごしただけで、自分がここに住む運命なのだとわかった。

自分を表現する別の言い回しを見つけると、エクスタシーのようなものを感じる。知らない言葉は目もくらむような実りの多い深淵を象徴している。その深淵にはわたしが見逃しているすべてのもの、すべての可能性が含まれている。

ラヒリは、両親が家の中で話す「母なる言葉」ベンガル語と、合州国で育ち学び思考の核にした「継母の言葉」英語に続いて、3つめの世界としてイタリア語を選ぶ。自分の手で。ローマに移住し、イタリア語だけを読み、イタリア語で物語を紡いで自らを語り始める。

亡命、という言い方をしている。どこまでいっても何でもない、からこの人の世界は優しいなと思う。決めつけない。ゴールがない。

わたしは日本語しか術を持たないし、むしろ外国語に対していろいろなレイヤーで恐怖があるんだけど、それは自分の意志に関わらずバイリンガルにならざるを得なかったラヒリの言っていること、していることと根っこは同じで、発露が逆かもしれないという気がした。若くして高名な作家になった彼女が、ここへきてこんなにももがいて苦しんで格闘しているんだから、わたしも苦しんでみたら新しい地平が見えるのかもしれない。湖を渡れるのかもしれない。

長過ぎる夏休みが終わって秋が来て働き始めた。今のところはだいたい楽しい。新しいことばかりが起こるのはそれなりに面白い。

何より、新しい扉は自分で選んだのだ。開いた先を歩いていくのはやりがいがある。転換点なんてもはや自分で作らないと生まれないから。

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)