インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

見過ごしの戯れ

「こないだ気付いたんだけど、わたし1人だけのTwitterリスト作ってる人がいてね」
「えっ、知り合い?」
「ううん、知らない」
「……気持ち悪いでしょそれ」
「うーん、でもきっと知ってるんだと思う」
「な、どういうこと」
「なんか、ふぁぼとか見てるとそんな感じする」
「知ってる人ってこと?」
「そう、そんな遠くない人ってこと」
「ストーカーじゃん」
「まぁ、見方によってはそうかもしれない」
「アイコン見て見当つくの?」
「そりゃあ卵アイコンですよ、いくらなんでもそんなにおおっぴらにやらないよ、1人だけ入れたリスト作るなんて遊び」
「その上そこからふぁぼっちゃうんでしょ」
「チャレンジャーだよね、気付いてくれって言ってるようなもんだよ」
「つまりバレてもいいって思ってるんだよねえ。そんなことしそうな人そんな何人もいないでしょ」
「そう、あんまりいない」
「じゃあ聞けばいいじゃん」
「それは侘び寂びってものが」
「ワビサビ…」
「顔も声も知らないからこそ奥ゆかしい遊びなわけ、蛍光灯の下で声に出して確認しちゃったら野暮でしょう」
「そんなものか」
「光源氏の時代からそうだよ、それに…」
「それに?」
「リストの名前、"LOVE"だからね」
「……すみませんノーコメントで」
「気持ち悪いでしょ?」
「うん、気持ち悪い」
「正しい、恋はいつだって気持ちが悪い」
「光源氏だって気持ちが悪い」
「風の噂だけで恋に落ちて、17文字で骨抜きにしていくからね」
「1200年経って、もはや言葉なんてなくても星のマークの通知だけで心が動くようになったね」
「進化だね」
「進化だ、ソーシャル御簾越しにお戯れ遊ばして」