インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

書くの好きなの?

ソチ・オリンピックが始まる。フィギュアスケートスキージャンプスノーボードも、あんなに体を動かせるのは気持ちがいいだろうなぁと思って見ている。というか、どんな感覚なんだろう。想像がつかない。氷の上でくるくる回ったり、猛スピードで空に突っ込んだり、とても高いところからすべり降りてとても遠くまで飛んだり。これからの人生で彼ら彼女らと同じ感覚を味わうことは絶対にないだろうなぁ。


「書くの好きなの?」

って、

この前聞かれてびっくりしてしまった。うーん、好きか嫌いかで言えば好きです……が、そんなにまっすぐキラキラした気持ちで好きなわけじゃなくてむしろ「これしかできない」っていう追い詰められ感の方が強い。

運動できないし、音楽の才能はなさすぎるし、絵も描けないし、何かを思いのままに自由に動かせる(ように見える)ことはそれだけでわたしには魔法みたいだ。自分の満足いく形にする努力がいちばん報われるのが書くって行為だ。それだけ。

どこかに文章をあげる前に必ず自分が最初の読者になれる、そこが優しい。いつまでこねくりまわしてもよいなんて寛容ねえ。好きなだけ煮るなり焼くなり。

同時に、いつだって満足してない。もっとうまく書きたい、もっとおもしろく書きたい、もっとこれもこれも詰め込みたい、本当はあっちの話にだってつなげたい。ざらざらした砂みたいな思考の断片を濡らして固めてお城をつくるのは難しい。乾燥しすぎてることも波にさらわれることも、どうしようもなく雨が続くことだってある。

でも上があるから、上を目指す欲があるから、わたしはやっぱり書くこと好きだし向き不向きで言えば向いていると思う。死ぬほど飽きっぽくて癇癪持ちで我慢も忍耐も努力も根性も大嫌いだけど書くことだけは毎日やっても全然底がない。ずっと理想の自分に勝てない。悔しい。でもその感情、健全だ。一時それすら忘れるくらいマジで無気力だったけど、戻ってきて本当によかった。

いつも悔しいけどいつも楽しいからもしかしてやっぱり好きかもしれない。