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インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

私の誠実

最近「誠実」という言葉についてよく考える。不真面目で怠惰で横着で無責任だけど、誠実だけは別だよ。誠実でいたいよ。世界に。

誠実、っていうのはあくまでこちらからの感覚でしかないんだなということを何度も思う。何をやってもどこに留意しても自分なりの誠実でしかなくて、相手に伝わっているかはよくわからない。でも手を抜いたらそれはじりじりとどこかから漏れてしまう。難しいことですね。



というかそもそも、わたしにとっての誠実は、きっと誰かにとっては取るに足らないものなのだ。だから何?というレベルの話で、それを踏みにじられるのは時折ものすごく悔しいけど、でもそれくらいでいいのだ、多分。いろいろな誠実さがある。誰かが否定するものでもないし、答えがあるものでも優劣があるものでもない。目の前の何かに対してどうやって誠実でいたらいいのか、わたしはわたしなりに考えるしかない。絶対に譲れない何かは、これだけは首を縦に振りたくないということは、社会に対する誠意なんだなって気がする。そこまでいくと信念に近い。でもそういうまっすぐで硬い言葉じゃなくて、もっとぐにゃぐにゃと生ぬるく都合よく形がない言い回しを使いたいのです。

ささいなことで笑ったり泣いたり、傷ついたり傷つけたりする人間の営みを、できるだけ誠実に書こう。それがただの絵空事に思われるなら、私の書くものは震災とは関係なくいずれ淘汰されるだろう。しかたないことだと思う。私は私の誠実を書いていくしかない。


宮下奈都さんのエッセイ「はじめからその話をしたらよかった」を読んでいたらまさにドンピシャな一節が出てきて、電車の中で涙ぐんだ。一編通して読むと別に自分の考えていたことと近いわけではないんだけど、宮下さんの言葉の選び方はたった1行でドラマチックで、そのドラマをこちらにゆだねてくるからすごい。平凡な日常とぐるぐる回るだけの思考がこんなにもストンと美しく、ステンドグラス越しの陽の光みたいに像を結ぶ。

私は私の誠実を書いていくしかない、のだ。がんばろう。

存在しないはずの記憶と思い出をすくって指の間からするすると落とす

映画「同級生」を見た。


www.dou-kyu-sei.com

なんだかいろんなものの流れ込み方がすごくて窒息しそうになった。記憶の中の彼等2人がこんなにもこんなにも完璧に美しく映像になっていることにちょっとくらくらした。読んだ当時と今の自分がずいぶん変わっていることも含めてエモい。10年。

特別BLを愛好して追いかけているわけでなくても(読むけど)(このニュアンス人に伝えるの難しい)この作品最初に読んだ時に「……すごい」ってなったの強く覚えてる。何度読んでも感情揺さぶられるし、ラブストーリーとして本当に超好きで完成度の高さを感じる。別にボーイズのラブであることが前提じゃなくて。

さまざまなときめきの要素が詰まりすぎていて死んじゃいそうだった。今好きなもの、これまで好きだったものとつながった。そうだよ、わたしハイカーストの人が好きなんだよ……。


草壁光を草壁光たらしめている、神谷浩史さんというひとはすごい人だな……と生唾を飲んだ。キャラクタがぐわんと立体的になってドキドキする。いや草壁、好きだけど、好きだったけど、こんなに好きなのかと思わされるとは。コミュニケーションの距離感が、間の取り方が好き。原作のあの感じを映像表現でこうしてくるんだぁって思った。ときめくよ。。


「高校生」という概念から発せられる、本当は存在しないはずの記憶と思い出に押し潰される。もしかしたらあったかもしれない。なかったかもしれない。高校生のころの明日世界が滅亡するかもしれないって退廃感、先が見えないし見たくもないブラックホール感、取り巻く環境が狭すぎてほんの少しの言葉や行動でひどく振り回されてしまう感、思い出すとぜんぶ苦しいし絶対に戻りたくない繰り返したくないけど、こうやってフィクションで見ると。ああそういうことだったのかも、って。

お前知ってる?なんか佐条と噂になってんよー、あいつらそういう感じなの?って、そうなん噂なってる?そっかーマジかー、わはは、ところでさー、って会話のリアリティが凄かった。否定も肯定もしない。あるいはできない。別に同性でそういう関係なことを隠したいわけじゃなくて、どう答えても何かが嘘になってしまうんだよな。言葉にしたら死ぬものと立ち上るものがあるのだ。












私たちはxxしている

  • 最近、何かに間に合わない夢をよく見る。今日は飛行機に乗り遅れそうになった。
  • 半泣きになりながらチェックインするんだけど手が震えてタッチパッドをうまく押せない。名前が入れられない。すごい怖かった。必死でがんばって手荷物検査が終わって、急ぎます、と走り出すところで終わる。
  • 電車を逃したり船に間に合わなかったり誰かの旅立ちの見送りに行けなかったり(誰だったんだろう)、起きてぐったりする。とにかく眠りが浅くて3時間くらいで目が覚める。
  • ますますどんどん好き嫌いが激しくなっていて、嫌いなもの憎いもの許せないものいつか滅ぼしたいものが増えている。ので、意識的に好きなものを増やしてなんとかバランスをとらないと死ぬ。という危機感がある。
  • 「だいたい世界の7割くらいは嫌いな気がする」「うるさいやつだなぁ」
  • 人は見たいように見るので残りの3割で生きていけるように努力しましょうね。
  • 「私たちはxxしている」って言い回しが自分の中で流行っていて何度も口の中で反芻してしまう。
  • 私たちは満足している、私たちは敗北している、私たちは激昂している、私たちは爆発している、私たちは錯乱している、私たちは戦争している、私たちは執着している、私たちは空想している。

 

 

うつつであいましょう

しかしまぁ、自分でも呆れるほど、ずっとイライラしている。

なんでこんなに毎日苛ついているのか、歯を磨きながら自転車で川沿いを走りながら駅から会社までの道を歩きながらPCが起動するのを見守りながらお昼ごはんを買うべくSUBWAYの列に並びながら地下鉄のホームで電車を待ちながらiTunesのアップデートを辛抱しながら、気が付くと、口の中で唱えている。「ムカつく」。

自意識を少しでもコントロールするためにめちゃくちゃ簡単なルールを、ゼロかイチしかない破りようのないアクションをいくつか定めていて、その1つがここに何か書きつけても沈黙を貫くということなんだけど、つまりこういう何の脈絡も理由もないことを絡まった毛糸玉のまま引き出しにしまい込むみたいなことに使いたいからだ。いや、そんなん勝手に書いて勝手に自分だけでもやもやしときーや、という気持ちもどこかであるんだけど、でも世界の片隅に転がしておくと思うとそれなりの体裁にしたためる気になるんだよな。不思議なことに。

最近は本当に反省することばかりで、いろんなことにうつつを抜かして気もそぞろだし、対人関係もあんなことしなきゃよかったな~ってことばっかりでぐだぐだぐだぐだしているし、何より仕事が自分で自分に期待しているレベルに到達してなくて気が滅入る。でも……まぁがんばろう。元気だし。


こりゃまた何の脈絡もないのですが、うつつ、を「現」って書くのすごいいいよね。
ゆめかうつつかまぼろしか。夢か現か幻か。

Over the Mint Chocolate

「あれ、純ちゃんまだいたの」

両耳に沈むイヤフォンの隙間から明るい声が届く。窓際の席からドアの方に目を向けると逆光の中にその人は立っていた。純ちゃん、なんて呼び方をするのは最初からこの人しかいないけど。

「ナオ、部活は」
「今日はもう終わり、中等部が明日朝から練習試合らしいから追い出された」
「そうなんだ」
「教科書忘れたから戻ってきたけど、まさか純ちゃんがいるなんて思わなかった、ラッキー」
へらへら笑いながらふらふらした足取りで自分の机を目指す。え~と、古文の便覧、どこだっけ。

ひとりごとというには機嫌がよすぎる声でぶつぶつと言うナオを横目で見て、もう一度ノートに目を落として計算式の続きを紡ぐ。もうすぐ日が落ちる。開いたばかりのページの空白をもっと埋めたい、黒く染めたい、オレンジの光が消える前に。



ナオとは子供の頃に家が近所でずっと一緒にいた。好きとか嫌いとかそういうことを考える前から当たり前のようにそこにいた。仲良しね、とよく言われてたけど、そういうわけじゃないんだよな、と子ども心に思ってた。

同じ歳の子たちと比べてひときわ小さくて色も白くていつもおどおどしていた自分と違って、日焼けした肌でピカピカの笑顔で大人を怖がらずにハキハキと受け答えするナオにどれだけ助けられただろう。甘えていた分、何か返せていたのだろうか。

我が家には1つ下の妹がいて、彼女は年上の友人のことを「ナオちゃん」と呼んだ。男兄弟ばかりのナオはそれが恥ずかしかったらしく、「ちゃん付けなんて嫌だ」と何度も叫んでいたけど、「ナオちゃんだって平気で純ちゃんて呼ぶじゃない」という反撃でいつも黙らされていた。妹はよくできている。3人でいるといつも自分が真ん中で、守られていた。

同じものを見て聞いて知って、多分違うことを考えた。大きくなるにつれて自分とこの人は違うってことが明確にわかっていった。学校では少しも話さなくなっても、家に帰ってくると部屋の主より早く上がり込んでいることがそれなりの頻度であった。同じ漫画にハマって次号の展開を本気で議論したり、オセロに熱中しすぎてなぜかけんかになったりした。異性にも同性にも大人にも子どもにもびっくりするくらいすぐに好かれるこの人がどうして仲良くしていてくれたのか、今でもよくわからない。

中学に上がる直前に急に転校することになってしまって、ほんの2週間くらいで慌ただしく引っ越した。卒業式も出られなかったしそもそもちゃんと別れを告げることすらできなかったけど、正直思ったよりショックはなかった。多分、いつか道を違えるとわかってたからだ。自分が隣にいないナオは普通に想像できたし、楽しく生きている確信があった。さみしくなかったわけではないけど、新しい生活は新しい生活で楽しかったし、思い出すことはほとんどなくなっていた。物語としてはきっとこちらが“片想い”し続けていたらおもしろかったのだろうけど、世の中そんなにきれいではない。


なのでまぁ、そんな忘れかけていた相手とまさか高校で再会すると思わなかった。

あの頃住んでいた場所からはわりと遠い私立高校だ。ナオはバスケを続けていて、もちろんそのせいだけではないんだけど、記憶の中よりずっと背が高くなっていた。記憶の中よりも長い、記憶の中と同じ癖のある明るい髪が、記憶の中と同じ輪郭に沿って耳をやわらかく隠す。入学式の朝、廊下ですれ違って目があった瞬間、お互いまったく同時に気付いた。気付いてることがわかった。ナオは開口一番、純ちゃん、おっきくなってる!と背を屈めて笑った。こっちのセリフ、と見上げて笑った。

ナオの格好よくて美しいところは大人に対して反抗的でも媚びるわけでもないところだ。あの頃はどうあがいても小学生だったし、今だってどうあがいても高校生だし、そういう立ち位置の取り方がきれいだなと思う。あきらめとかではない。どんなに背伸びしても1年に1つずつしか年をとらないことへの冷酷な自覚、若さはどこかで武器になることへのしたたかさ。この人を見ていると安心する。もう部屋のドアを開けたらそこにいるような距離感ではないけど、格好いいところは同じままだってことがわかる。


気付いたら目の前にその人が座っていた。左の耳からイヤフォンを抜かれる。

「おーい、聞いてってば」
「……勉強してんの」
「うそだ、してなかった」

その通りなので虚空をさまよっていたペンを置く。ノートの右下がいつのまにかくしゃくしゃと潰れている。横向きに座るナオは上履きを床に落としてジャージの下の素足を地上20センチで揺らす。

「純ちゃん、なんでこんな時間までいるのって聞いたんだけど」
「ごめん、聞いてなかった」
「知ってるよ!だからもう1回言ってんの」
「塾だから、18時から」
「へえ~えらいね、もう塾なんか行ってるの」
「他にすることないからさぁ」
「部活入らないの?」
「別に、やりたいことない」
「ああそう」

秋の終わりは急に日が短くなってびっくりする。普段部活が終わる時間はもっと遅いのか、汗ばんだ体で暗い夜を走っているのだろうか。2人で何度も歩いた道を。

「……今日も18時から?」
「そうだけど」
「じゃあ、その前に時間あるね」
「いやそんなにないよね」
「アイス食べにいこう」
「えっ、アイス?」
「好きじゃん、アイス」
「好きだけど、そういう問題?」
「そういう問題」
「でも寒くない?もう11月だよ?」
「今トリプルが、安いんだよ、あの店、キャンペーン中に食べたかったんだけど、部活の帰りにみんなで行く感じでもないから、だから」
「……急がないでゆっくりしゃべっていいから」

何年ぶりだ、この会話。視線が絡む直前に、目を見開いて息を止めて吐き出す。目線が下にいく。こちらを見てまた口を開く。

「純ちゃん、勉強する時はメガネかけてるんだ」

「……待って、全然違う話になったけど?」
「ごめん、言いたいこと忘れた」
「それにしても唐突すぎる」
「自分でもびっくりした」
「なんかアイス、食べたい気がしてきた、今」
「ほんと?よし、行こうって」
「トリプルにできるなんて、大人になったなあ」
パピコ半分こしてたころから比べるとずいぶんな進化だ」
パピコだけじゃなかったけどね」
「そうだよ、スーパーカップまで」
「覚えてる?ナオにチョコミント好きなんて信じられない!って怒られた」
「それはそうだ、変わってない」
「今から行くお店、チョコミントあったっけ?」
「……はぁ!? なんで!」
「ナオに分けてあげるなんて言ってない」
「純ちゃん……昔はあんなにかわいかったのに」
「じゃあ行くのやめる」
「うそうそ、行く行く」
「大人になったから食べられるかもよ、今は、チョコミント
「食べられるようになってたら見直す?」
「どうだろう」
「どうよ」
「本気出して考えると」
「うん」
「本気でどっちでもいい」


 
習作。着想部分は明確に現実から引っ張ってきてるし、最初は反対側からアプローチ始めたはずなのに最終的には逆側からの方が距離が近い文章に着地して不思議。いくつか使いたいパーツがあったのでそれを縛りにしたけど、この切り口で何をどう組み立てたら誤読させたら精度を高められただろう。もっとどちらにもとれる書き方はあると思うし、レトリカルに何かうまいことできた気もするけど、具体的に何かっていうのが今ない。そのうち思いつくかも。完成度的にはあげなくてもよかったんだけどタイトルの語感が気に入ってしまった…。

真空と地動説

9月にサンフランシスコに行った。去年も同じような時期に行って少しだけ書いたから今年も少しだけ書いておこう。

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まだ夏の終わりの東京と違ってもうすっかり寒くて風邪をひきそうになった。コートを着てる人と半袖の人が隣り合っているのを見るとアメリカだなぁって感じがする。

サンフランシスコはいい街だけど真空って感じで少し怖い。何をしたらいいのかわからない。ここにいると行きたい場所がない、ほしいものがない、やりたいこともない、ということがなぜか重くのしかかる。日々ろうそくをすり減らしている東京での日々とも、勢いよく着火して燃え上がる観光旅行とも違うからだと思う。

最後の夜はサンフランシスコに来ていた先輩と、友人と、会ってビールを飲み過ぎるくらい飲んだ。世界のどこにいてもたいしてやることは変わらない。今回はずっと緊張していたからこの数時間がとっても楽しかった。すっぱいよって言われた黒いビールが本当にすっぱくてびっくりした。

脈絡もないけどニューヨークに行きたいと思った。ニューヨークに行きたい。

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飛行機でハリー・ポッターの最終巻を読んだ。少し前に7巻の上巻まで読み終わっていて、あと1冊だったのだけど一気に読み上げたくて待っていた。機内で映画が見られない人間なので長いフライトは昏々と寝て少しだけ起きて、食べ物の代わりに活字を食べて、また眠る。

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)


金曜ロードショーでハリポタがやってて原作を読み返したくなって、全巻電子化して11冊まとめてタブレットに放り込んだのが7月。年内くらいに読みたいなって思ってたけどめちゃくちゃおもしろいから手が止まらなくて、もったいないからセーブしつつ、結局2ヶ月で11冊読んだ(全7巻だけど上下分を含めると11冊ある)。

こんなにおもしろいものを幼少期に読めた自分は幸福だったなと思った。贅沢。「アズカバンの囚人」までは何度も何度も繰り返して読んだから、記憶がフラッシュバックするようなフレーズが何度も出てきて胸が詰まった。軽口叩いているようでスマートに人を幸せにしてくれる双子がずっとすきだし、一生リーマス・ルーピンに恋し続けるしかないのであった。ルーピン先生に幸せな記憶がたくさんあってほしい、暗い顔しないでにっこりしてほしい。夢小説脳は治らない。

シリウス・ブラックに昔読んだ時よりずっとずっとときめいてしまって困った。まとめて読むことで輝かしい記憶と暗い過去がどんどんつながっていったからだろうか。さみしさと愛についてわたしの理解が深まったんだろうか。シリウスにハリーがいてよかった、という感情、多分当時の自分は今ほど抱いていなかっただろう。


7巻は本当に本当に辛くて、特に上巻はしんどかった。ずっと傷ついていて孤独でかなしい。ハリー・ポッターのすごいところは、登場人物みんなにムカつくところだ。主人公でも容赦なくムカつくし、敬愛すべきアルバス・ダンブルドアだって燦然と輝くジェームズ・ポッターにだってムカつく。しかもその不完全さとか未熟さが「だから強い」とかいうカウンターじゃなくて普通に欠点。でもそういうのを書ききれるのがすごいなぁと思うし、もっと知りたくなるし、理解したくなる。そのバランスが凄まじくて読み終わってからもずっと考えてしまう。

大人になってから読むと、子どもの頃にはなかった視点があるからびっくりする。自分でもびっくりするところで泣いてしまう。子どもは大人が思うほど子どもじゃないし、大人は子どもが思うほど大人じゃない。


読み始めたのはクロアチアへ行く飛行機で、読み終わったのはサンフランシスコから帰ってくる飛行機だ。この本を初めて読んだ頃の自分と比べたらずいぶん取り巻く世界は変わった。

毎日たいした意思も考えもなく、昨日の延長として今日を生きて明日につなげてるだけでも、そうやって世界は変わっていくんだなぁ。地動説だ。生きるのは結構楽しい。

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首をかしげている犬みたいな

26という数字に大変に思い入れがあって、それはひとえに生まれた日付だからなのだけど、そしてそんな贔屓目を前提でいうと、かわいくないですか。

濁点を天気がいい土曜日の午後のような音で挟んでる機嫌のよい響きも、首をかしげている犬みたいな全体的なフォルムも、肩が触れるようで触れない微妙な関係に見えるつかずはなれずの2つの数字の距離感も、かわいい。あと1つ違っていたら5の2乗でキリッとした数だったのにはみ出してしまっているだめだめ感も……まぁかわいいよね。かわいいでしょう。

26歳になったら小説を書くだろう、って、なぜかなんとなくずっと思っていてもうすぐその歳になる。とか言って、もう15年くらいインターネットにちぎっては投げてきたいろんなものは、事実も嘘も時系列もぐちゃぐちゃで正直いつもフィクションみたいなものだから、すでに書いてるといえるのかもしれない。目の前で起こったこと、考えたことは、文字にした瞬間全部創作になる。尾ひれをつけないと気が済まない。

確か山田詠美だったと思うけど、誰か作家の人が書いてた「ある日起きた瞬間に、ああ今日から書ける、わたしは小説を書ける、と思った」という話がすき。そんな感じでスイッチが入るかもしれないし入らないかもしれない。なんにせよ、そんな魔法が降ってこなくても、とにかくわたしはもうすぐこの(自分比で)奇跡の数字を名前の後ろにつけられるのだ。