インターネットすやすや

嘘ときどき現実、見方により法螺話となるでしょう

手首にフェイクファー

いやはや、気づいたら12月も半ばである。なんてことだ。

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前回この日記を書いたのはコインランドリーに行った日か。そこから2ヶ月弱、いろんな意味でめちゃくちゃラディカルに人生が動いて楽しかった。なんでこんなことになったんだろう? 自分でもそう思う。でもこうなるように決まっていた気もする。あとから考えたら何もかもいいタイミングで収まったとも言えなくもない。

わたしは自分の人生に根拠のない自信が常にあるので、起きたことはすべて正しくて、その場その場で考えていけば結構なんとかなって、流されながら泣きつきながら身を任せていればなんとなくうまくいくと信じている。毎日生きてるだけでプラスの何かが積もっていく。チャリンチャリン。

つい先日、大好きな人たちの結婚式に行ったとき、神父様が「神が定めし運命に従い、この者を永遠に愛することを誓いますか?」みたいなことを言うもんだから、いやいや誓えねーよ!と心の中でマジレスしてしまった。いやわかってます、慣用句だってことは、わかってるのよ。

別に婚姻に限らず、出会ったのは運命かもしれないけど、関係を育んでいくのは不断の努力だ。優しさも思いやりも、性格でも相性でもなくて本当は1秒ごとの努力の積み重ねだ。神様じゃなくて人間の領域だ。一方的に永遠なんて誓えるわけがない。だって片方の意思じゃなくて相互のセッションで決まるものだもんね。なぜなら私たちは下界の生き物だから。

下界は楽しい。運命は案外すぐに変わる。